運の暴力性=贈与性「狂ひ凧」

青い空に凧が五つ六つ揚がっているのを見た。凧の位置からして、ドブ川の岸あたりから揚げていると思われる。風が強く、またそこらで気流が渦巻くらしく、凧はすべて不安定に揺れ動いていた

 これは、梅崎春生の「狂ひ凧」という著作からの引用である。梅崎の言う凧は自己によって運命を決まる訳でもなく、キリスト教的な宿命論によって運命が左右されている訳ではない。凧は「不安定に」「揺れ動く」風によって動かされいる。言い換えるなら、我々の人生は偶然に左右されていることになる。

例えば、冒頭で、標識柱に車がぶつかり、その事故に第三者の女性が巻き込まれるという話。これは、もう「災難である」としか言い様がない。無論この災難は、女性自身によって、起こされたものではなし、超越的な力によって為された事故でもない。複数の意識が共存する舞台によって、結果的に作られてしまった事故に過ぎない。

本文の中ではそれを「運」と名指している。そして、運のない者として、城介という人物が登場する。城介は栄介と双子の兄弟である。城介は中学時代にうどん屋で食い逃げして学校を退学処分となる。退学処分となった城介は葬儀屋になるのだが、戦争が開始された途端に、戦地に飛ばされ、そこで死ぬ。この、城介は、戦争を生きて帰ってきた梅崎自身の対比なのではないか。死ぬことも生きることもつまるところ「運」なのである。運はとても暴力的かもしれない。しかし(それゆえに)救済にだってなる可能性がある。

 

狂い凧 (講談社文芸文庫)

狂い凧 (講談社文芸文庫)

 

 

 

小島信夫メモ「抱擁家族」

 

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

抱擁家族 (講談社文芸文庫)

 
  •  小説の力点の移動

抱擁家族に於いて、まず重要なのは、主人公の三輪俊介が物語の主体、つまり物語る立場ではなく、物語の一部として、存在するという事だ。物語は俊介の意志と関係なく進み、寧ろ物語に飲み込まれ、なすすべのない状況に追い込まれる。

「俊介のなすすべのなさ」は家の崩壊として表象される。家庭に入り込み、妻の時子を寝取ってしまうアメリカ人のジョージは、小説=家を破壊する外部の侵入者であり、ジョージの侵入から、夫婦生活の滑稽=非リアリズム化が露わとなる。これは単に物語のプロットとしての「滑稽」ではない。それは、近代小説が持ち得たリアリズムの破綻であり、これ以降の小島信夫の著作にも顕著となる寓話性の萌芽であるように思われる。

  • 「塀」

物語の中で、俊介が塀を作りたがるシーンがある。

「この家にもっと大きな塀が欲しい」

「塀?」

「かこんでしまうんだ」

中略

「問題はな、時子、中の生活だよ。どう仲睦まじく暮らすかということだよ」

これは、今や壊れようとしている家=小説を塀という外部との境界線を設けようとする意志だろう。俊介は家=小説のリアリズムを守ろうとするが、その意識は妻の時子にはわからない。むしろ時子は「突発的計画」を持ち出し、家=小説を積極的に変えようとする俊介の意識は疎外される事となる。

それから、会話のシーンが異常に多いということ。これは先にも言った様に小説の力点が移動して、リゾーム的な関係性の対話(=ポリフォニー)による、物語の生成技法の様に思われる。

  • 感想

抱擁家族は、三輪俊介の家=リアリズムを守ろうとする意識が成すすべなく外部=アメリカによって蝕まれ、母の死とともに家が崩壊してしまう話で、このことは物語方にも出ている。全編を通して、対話によって話が進み、時子がホルモンの異常によって髭が生えた時も、なにか、それは「笑い」として受け止められる。これはリアリズムー非リアリズム(不条理)という対立構造が解体され、条理と不条理がごった煮になってしまった事の象徴だろう。

今回とりあげた抱擁家族だけではなく、特に後期の小島信夫には、条理-不条理の対立がなく、寓話精神によって物語は持続するのであり、この方法は筒井康隆村上春樹になにほどか影響を与えてるのであろうと、私は適当な夢想をするのである。

 

ちなみに江藤淳の『成熟の喪失』では敗戦と絡めた形で抱擁家族を評価しているが、私はあの評論は、江藤が小島信夫をダシに使っただけではないのかと少なからず思っている。確かにほかの著作に比べれば、あたっているし、読み物としてもふつうに面白い。しかしあの批評は、あの時代と、江藤淳という人が行った読解なのだからビビットなのであって、文学のことなど本質的にはどうでもよいと思っている社会学者がジェンダーフリー運動のために抱擁家族江藤淳をアジびらとして使用するのは、なんとも「滑稽」だなと思うのである。

 

物語の構造分析

物語の構造分析

 

 

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

 

 

 

 

ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)

ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)

 

 

ヒューム

愛国心とはどこからくるのか。事実、論理的に考えれば、日本人である理由など交換可能なものだ。歴史性というけれども、それも交換可能なもので、国あるいは、土地に必然性はない。しかしこの、交換可能なものに、趣味判断が侵入すると交換可能なものが交換不可能なもの、つまり必然性へと昇華される。例えば我々は過去を回想する時、その過去は現実性のものだと考えるが、事実はそうではない。その過去が過去であるには過ぎ去った現在であることが条件となりうるが、それによって過去を保証するものはすべて「過ぎ去った」ものとなる。過去を物的に保証するものはすべて、偶然性にほかならず、それを「論理」的に信じる事は不可能だ。しかしここで「私は私」であると信じるならば、過去は単なる夢想ではなく「確実性を持った夢想」となるだろう。この歴史は他者とは共有可能ではない。しかし他者とは共有できないが故に、それは趣味判断となり、信じるものへと変わる。

ヒュームが想定する国家は交換可能なものではない。いや、交換可能なものでなければホッブスの思考した絶対権力やロックの「宗教」と同じものとなる。従ってロックを乗り越えたヒュームは国家を絶対的なものにはしなかった。国家は交換可能なものだ。しかし国家の構成員たる、国民は祖国から離脱することがないという楽観は、国民と国家との間には趣味判断があり、偶然から生まれた趣味判断を恒常的に行い生成される黙約がある。この黙約は約束(promise)とは違う。約束は科学的利便性を第一とするが、黙約は過去を科学的利便性を保証しうる概念の結晶なのだ。従って、原理的に約束は黙約の下位概念としてある。この約束を言い換えれば「法」のことであり、黙約は「習慣」に位置する。

法は生活の反復作用としての習慣から生成されたもので、反復はこの場合、偶然から現前化し、努力をすることによって、恒常化され、必然化した、習慣のことである。ベルグソンはこのことを「創造」と呼んだ。創造は絶え間なく現実が続き、過去と未来は現実のこととなる。しかしこの現実は「制度化」された現実。つまり時間の断層としての差異を消去するもので、内的には動きうるものなのだが、外的な動きとしての「出来事」に目が向いていないのだ。ヒュームは、この時間の断層を法の反復の外側にある「判例」と呼ぶだろう。この差異としての「判例」がありうるからこそ反復は運動し続けることができる。何故なら反復は常に過去へとつながるものだが、差異は未来として、あるいは概念の創造としてある。従って判例は「制度化」された反復の外側にあると同時に最終的には習慣としての、生活を肯定する、生それ自体となる。

黙約から逃走する。しかし判例という放蕩息子は反復という父へと回帰し、法となるのだ

江藤淳①メモ

これから私が書こうとするのは、必ずしも江藤淳についてだけではない。寧ろあり得べき「私の江藤淳」を頭に描きながら、これを書こうとするものである。もとより江藤淳のテクストだけでは「江藤淳」と云う文人を理解する事は出来ない。彼の後ろ側に絶対に立って居るであろう死者たちを理解すること、つまり江藤淳とともに共生しうる死者とあたかも時間的に同時期に存在しうるような形でしか読解は不可能だ。「あり得べき江藤淳」のなかには「近代の宿命」が宿命論的に内在しているはずで、自明のものとされる「文化」が「見えない」検閲よって作られ、現実が「虚体」でしか創造し得ない状況。このような洞察は「既存の状況」を「自明」のものとするプラグマティストにとっては「寝言」としか聞こえないのだろうが、彼の「研ぎ澄まされた」感性はその事に「息苦しさ」を感じた。小林秀雄が既存も文壇の流行を「意匠」としたように彼にとって「沈黙」を忘れ「幻想」を「現実」としてしか理解できない戦後への「苛立ち」は時間の宿命性を越えて「林羅山」「藤原惺窩」「近松門左衛門」そして「夏目漱石」へと共生されうる。この「幻想を現実のものとしてしまう」問題は戦後と云う限られた歴史の問題ではない。かつては中国に学び今は西洋・アメリカに学ぶ日本にとってこの問題は切実だったのだろう。あり得るべき現実ほど探しても見つからないものはない。しかし「違和感」を感じてしまったらその事を考えずにはおれないのだろう。